夏の甲子園に出場した広陵高校野球部が、思わぬ形で世間の注目を集めている。
報道によれば、部員間でいじめがあり、被害を受けた生徒は転校
一方で加害者とされる側はチームに残り、そのまま甲子園の舞台に立つという。

この件が知られるや否や、SNSを中心に「許すまじ!」のバッシングが巻き起こった。
ネット上の“正義の鉄槌”は日増しに勢いを増し、加害者選手たちの個人特定はもちろん、関係者や加害者家族の情報まで拡散されて糾弾されている。

もちろん、被害者の心の傷に向き合うことは大切だ。
だが一方で、こうも繰り返される「いじめの発覚と制裁」のループを見ていると、そもそもなぜ、いじめはこんなにも根深く、なくならないのかという問いに行き着く。

「いじめは絶対に許されない」

これは疑いようもない正論だ。
しかし同時に、「じゃあ、いじめはなぜ学校からなくならないのか?」という問いには、誰もが口ごもる。

もちろん、いじめ問題は学校だけで起きていることではないのだが、ここでは一つの視点として、青年期の発達心理学というレンズを通して考えてみたい。


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