こんにちは、トラオです。
今年もまた、クマが人里に降りてきたそうです。
山からふらりとやってきたその大型哺乳類は、畑の野菜を荒らしたり、家の敷地に現れて騒ぎになったり、場合によっては人に襲いかかったりと、どうにも穏やかではありません。

ニュースでは「今年もクマ被害が…」と毎年のように報じられていますが、なかでも今年はさらに怖い話を耳にしました。

なんでも、2年ほど前に起きたクマ騒動のとき、当時はまだ親クマに連れられていた子グマが、今や立派な大人になり、自らの意思で「再来」してきているらしいのです。

つまりこうです。
「あのときママが連れて行ってくれた人里、食べ物あったなぁ。そうだ、あそこ行こ」
みたいな感じ。記憶力も順応性も抜群。学習能力の高さ、見上げたものです。

でも、人間の側はたまったものじゃありません。やむなく、人里の価値を知ってしまったクマは駆除せねば、となるわけです。

そして、こういうニュースが流れるたびにセットで現れるのが、「クマを殺すな」と声を上げる人々。
「人間こそ自然を壊した加害者なのだ」「クマは悪くない」などと声高におっしゃいます。

いや、正論です。間違ってない。

でも正論というのは、時として現実の凶暴さに勝てません。
襲われた人が病院に運ばれている映像の横で、クマのぬいぐるみを抱えながら「クマが可哀想」と叫ぶ人たちを見ると、どうにも不思議な感情に襲われます。

それ、ぬいぐるみじゃないんだよ」って。

なぜこんなにもクマに“優しい”イメージを抱いてしまうのでしょうか。
ひとつには、幼い頃から刷り込まれた「擬人化されたクマ」の存在があるのかもしれません。


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