こんにちは、トラオです。
今日は私が年に1回は観る映画を1つご紹介しようかなと思いまして筆を取りました。
とは言っても映画評論家のような気の利いた考察などは出来ないし、良いだの悪いだのの目線で語れるような映画通でもないので、あくまでも私が個人的に大好きな映画を自分のためにリストアップしておくという視点で、残しておこうと思います。
もしもまだ観ていない映画で、興味を持っていただけたら、ぜひご鑑賞いただけたらと思います。
と言うわけでさっそく今日はその第一回。
今からもう20年以上前、私はある一本の映画に心を奪われました。
タイトルは『リトル・ダンサー』――イギリスの小さな炭鉱町で暮らす少年が、バレエダンサーを夢見る物語です。
初めて観たその日、私はスクリーンを見つめながら涙をこらえるのに必死でした。そして翌週、また劇場へ足を運び、気づけば合計7回、休日のたびに通いつめることになったのです。自分でも驚くほどの熱量でした。
なぜそこまでこの映画に惹かれたのか。今振り返っても、その理由はとてもはっきりしています。
■ 夢を追う少年と、それを支える家族
物語の主人公はビリーという11歳の少年。炭鉱不況に揺れるイギリス北部の町で、父と兄、そして祖母と一緒に暮らしています。男の習い事といえばボクシング、女の子はバレエ、という固定観念が根強く残るこの町で、ビリーは偶然出会ったバレエに心を奪われます。バレエ教室の隅で踊り始めたその瞬間から、彼の人生は大きく動き始めるのです。
初めは父や兄に激しく反対されます。「男のくせにバレエだなんて」と。でも、ビリーはその壁に負けません。身体いっぱいで表現する喜びを、ただまっすぐに追いかけ続けます。
観ていて心を揺さぶられるのは、そんなビリーの情熱だけではありません。彼の周囲の人々――特に家族の変化が、この映画の最大の魅力だと思います。
■ 息子のために、誇りを捨てて
ビリーの父親は炭鉱労働者。労働組合の一員として、ストライキに参加し、不況と闘っています。日々の生活に追われ、夢など持てるはずもない日々。それでも、息子が心から打ち込んでいるバレエを目にしたとき、父の心にも小さな変化が訪れます。
最初は理解できなかったものが、だんだんと「尊敬」「応援」に変わっていく。やがて父は、なんと自分の信念であるストライキを破ってまで、息子をロンドンのオーディションへ連れていくことを決めます。息子の未来のために、自らの誇りを差し出す姿には、何度観ても胸が熱くなります。
世間体や世代のギャップを乗り越え、親として子の背中を押すという行動は、まさに無償の愛だと思います。私自身、当時はまだ若く、親の気持ちなど考えたこともありませんでしたが、この父の姿を観たとき、初めて「親になるって、こういうことかもしれない」と感じました。
■ “普通”ってなんだろう
ビリーの友達であるマイケルという少年も、この映画の中で重要な存在です。彼はゲイであることに悩みながらも、ビリーに友情以上の感情を抱いている様子が描かれます。けれど、ビリーはそんな彼を拒絶することなく、むしろ自然に受け入れていきます。
ビリー自身も、「男の子がバレエを踊るなんて」と周囲に言われ続けます。つまり、二人とも“普通じゃない”存在として社会に見られているのです。でも、この映画はそれを悲劇としてではなく、ごく自然な個性として描いています。偏見や固定観念を打ち破るには、声を荒げるのではなく、ただ「そのままの自分でいる」ことが最も強いということを、彼らの姿が教えてくれます。
今の時代では“多様性”という言葉が当たり前になってきましたが、当時はまだこうしたテーマが映画の中でここまで正面から描かれることは少なかったように思います。その意味でも、『リトル・ダンサー』は本当に先進的な作品でした。
■ 踊ることで、自分を解放する
そして何よりも、ビリーが踊る姿そのものが、言葉では言い表せないほど美しいのです。怒りや喜び、戸惑い、自由――それらすべてを身体で表現し、爆発させるようなビリーのダンス。特に、父親の目の前で彼が感情のままに踊るシーンや、オーディションで無言の審査員たちに向かって全身で魂をぶつける場面は、何度観ても息を飲みます。
言葉を超えて、人の心に直接届く力。それが芸術であり、バレエであり、映画なのだと、この作品は教えてくれました。
■ 映画を彩る、音楽というもうひとつの「登場人物」
そして、忘れてはならないのが音楽の存在です。
『リトル・ダンサー』を語る上で、サウンドトラックの素晴らしさにはぜひ触れておきたいと思います。
全編にわたって流れる70~80年代のUKロック、特にT・レックスの「Cosmic Dancer」や「I Love to Boogie」、ザ・クラッシュの「London Calling」などが、ビリーの感情や物語のテンポと完璧にシンクロしています。ただのBGMではなく、まるで作品と一体化した「もう一人の登場人物」のような存在感です。
たとえば、ビリーがストレスや怒りを抱えながら街を駆け抜けるシーンで流れる「A Town Called Malice(ジャム)」は、彼の葛藤をそのまま音にしたような力強さがあります。無言の感情を、音楽がすべて語ってくれる。セリフがなくても伝わってくるというのは、映画ならではの魔法だと感じます。
そして、ビリーが初めて「空を飛ぶように」踊るあの幻想的なシーンで流れる、ジュールズ・マッソン作曲の繊細なスコアもまた格別です。あの一瞬の解放感を、音楽が見事に後押ししています。感情が高まり、鳥肌が立つようなあの瞬間は、何度観ても心が震えます。
『リトル・ダンサー』は映像と音楽が完璧に呼応しあった、稀有な作品だと思います。どの場面のどの音楽も印象深く、観る人を惹きつけます。
■ 観るたびに涙がこぼれる映画
『リトル・ダンサー』を観るたびに、自分の中のなにかが浄化されていくような気がします。泣きながら、同時に不思議と勇気をもらえる。そんな映画はそう多くはありません。
あれから何年経っても、私にとってこの作品は特別です。観終わったあと、胸の中に温かい火が灯るような映画。誰かに夢を語りたくなるような映画。そして、他人の痛みにもそっと寄り添えるような気持ちにさせてくれる映画。
今もなお、私が自信を持って「観てほしい」と薦める一本です。
まだ観たことがないという方には、ぜひ一度、あの炭鉱町の空気と、ビリーのまっすぐな眼差しに触れてほしいと思います。
私には子供がおりませんが、お子さんをお持ちの方が観たら、またきっと違う感覚を得るのではないでしょうか。
誰の心にも深く残る何かがあるはず、そんな映画です。